若林 哲平
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シングルマザーが対象のシェアハウス「MANA HOUSE上用賀」。施設内の食堂を会員制にして開放し、地元との繋がりを強めていきながら、地域ぐるみで利用者のサポートを図る。運営を行うのは「シングルズキッズ株式会社」だ。
設立時期は2015年7月だが、2017年2月に1,000万円の融資を行って同施設をオープンした。同社代表取締役の山中真奈氏は、何故この施設を作ろうと思ったのか。また、起業するまでにはどんな経緯があったか、将来のビジョンなどについて本人に伺ってみた。
シングルズキッズのための家、MANA HOUSE上用賀で起業
──まずシングルズキッズが、どういう会社なのかを教えてください。
山中真奈氏(=以下、山中氏):「管理人常駐・地域開放・シングルマザー下宿 MANA HOUSE上用賀」というシェアハウスの運営を主としている会社です。設立自体は2015年7月で、当初は不動産管理や民泊に関連した事業を行っていましたが、2016年10月くらいからシェアハウスの事業計画を練り始め、翌2017年3月に今の社名に変更をし、同年6月に同施設をオープンしました。
──「MANA HOUSE上用賀」はどんなシェアハウスなのか教えてください。
山中氏:住宅街の中にある2階建ての一軒家の建物を改築したシェアハウスです。1階には食堂とレンタルスペース、2階には下宿部屋を設けており、下宿部屋は全部で6部屋を用意しています。家賃は6万2千〜10万7千円と部屋によって異なり、別途4万5千円の共益費・食費を頂いています。対象は母子家庭世帯です。
──そんな「MANA HOUSE上用賀」の特徴を教えてもらえますか?
山中氏:特徴は大きく2つ。1つめが「地域開放」型の会員制食堂。平日の夜は毎日お母さんと子どもたちにご飯を作って提供します。繋がりをたくさん作れるように、会員になれば入居者以外の方でも利用できます。実際に近所の保育園や小学校のお友達などがご飯を食べに来ます。地域開放型という点では一般のシングルマザーシェアハウスにはないサービスです。もう一つが子育てをサポートするサービスがあることです。21時まで管理人が常駐する子どもの見守りや、月額1万円でお子さんの保育園のお迎えをするサービスなどを共益費に含んでいます。
ここを利用していただくことで、子どもたちは一人でいる時間をなくすことができ、孤独や孤食の解消にも繋がります。また、世代の異なる大人たちとの繋がりが作れることも子どもたちにとって良い影響だと考えています。一方で、お母さんたちからすると、平日の夕食の準備が不要となり家事の負担が軽減され、仕事に集中することができます。子育てについてなど、共同生活をしている子育て経験者に相談のできる環境も整えています。
──このシェアハウスを利用するにあたっての条件を教えてください。
山中氏:MANAHOUSE上用賀は、子どものための場所、つまりシングルズキッズのための家なんです。彼らに孤独や孤食といったことをなるべく経験することのないように、楽しくみんなでわいわいご飯を食べる環境や、繋がりが作れる環境を提供しています。そのことを承諾することを条件にしております。みんなが楽しく対等でいられるコミュニティの雰囲気づくりに自発的に協力してもらえることは、運営を維持するためにはとても重要な要素になっています。
2018年9月現在、お母さん4名、お子さん6名、シニア1名、そして私の計12名で暮らしており、皆さんきちんと自己管理しながらこの生活を楽しんでくれている方が利用してくれています。
──シングルキッズ(=親が一人しかいない子ども)を対象にしているのは何故ですか?
山中氏:私のキャリアである不動産を活用して、子どもたちが抱えている困り事を解決したかったというのが大きな理由です。とはいえ、社会のためだとか誰かのためだとかいうのはあまり考えておらず、単純に私が子ども好きだから、というのが率直な気持ちです。
なので利用者の方々と楽しくお酒を呑みながら毎日過ごしているだけのような部分もありますが(笑)、シングルマザー支援ではなく、シングルズキッズ支援を行っていることもポイントです。ですので、「世帯主として一人で子育てしていかなければならない中で、自己実現もしたい」というシングルマザーの方が問い合わせしてくる傾向にあると感じています。半年前に問い合わせをしてきた方が、先日宿泊体験をしにいらしてくださった、なんてこともありました。
一冊の本がきっかけで考え方や行動の仕方が変わった
──シングルズキッズを起業するにあたって、きっかけになった出来事があれば教えてください。
山中氏:私の場合、小さい頃からの体験というのも少なからず影響しているかと思います。私はシングルの家庭で育ったわけではなく、両親と兄、姉がいるいわゆる普通の家庭で育ちました。ですが両親の仲があまり良くなく、比較的“ドライ”な家庭で、母親との折り合いも悪かったので家にあまり居場所がありませんでした。
なので外に出て活動することが多く、高校生の頃はいわゆる「ギャル」をやっていました。卒業しても「うちにはお金がない」と言われていたので、大学に行けるわけでもなくふらふらして、ギャルのサークルに入ってパラパラを踊ったり、イベントをやったり、ただ流れるように生き、仲間と楽しく過ごしていたのですが、その後に突然心を病んでしまい、半年間くらい引き籠りました。そのときは人生に絶望して、死にたいとぼんやりと思っていましたが死ぬこともできず、二十歳になって成人式に出席したあたりから、死なないなら働こうと思い始めました。
──それから起業するまでにはどんなことがありましたか?
山中氏:そのときに働き始めたのが、ケータイショップでした。最初は敬語も使えないし領収書も書けないしと仕事がまったくできなかったんですが、だんだんできるようになると数字が付いてきて、期待されるようになると仕事が楽しくなってきたんですね。その後にステップアップのために不動産会社に転職しました。
その頃に周りの同級生に子どもができ始めて2~3歳の子どもたちとよく遊ぶようになったのですが、彼らは良い悪いも好き嫌いもはっきりと言い、接しやすかったからか、そのときに自分はすごい子どもが好きなんだなって気付いたんです。そんななかで、あるときに友人が離婚してしまい、子どもをたらいまわすかのように扱い、その子が毎回泣いて傷付いている様子を見て「何で大人の理不尽な都合に子どもが巻き込まれて傷付くんだろう」という疑問を抱いたんです。
さらに、その後の2010年に大阪で3歳と1歳の子どもが餓死するという事件が起こったんです。シングルマザーだったこの方も親御さんが離婚していたりと家庭環境はとても悪く、自身も離婚しているから誰にも頼れなかったそうで。
この事件が私の中ですごくショックで。日本にいて、こんなにちっちゃい子どもがご飯食べられないで死んでしまうんだってびっくりして、これは何とかしたいなって気持ちがそこで芽生え始めました。
──子どもと遊ぶ中で考えていたことが、今の事業にもつながるわけですね。
山中氏:ええ。ですが、当時は起業したいわけではまったくありませんでした。その頃から本当にやりたいことって何だろうって考え始めて。子どもは大好きだけど、保育士や児童養護施設で働くというのは自分の中で違うなと感じていました。何故なら両親がお金で喧嘩していたので絶対にお金に困りたくない、そのためには不動産の道で行くしかないと考えていたからです。
しかし、私が勤めていた会社には生活保護や母子家庭の方を積極的に受け入れない風潮があり、ジレンマを感じました。そんなときにたまたま『ユダヤ人大富豪の教え』(著:本田健氏)という本を読んで衝撃を受けたんです。この本の中に「大好きなことを仕事にしよう」と書かれてあって。ユダヤ人ってよくお金持ちって言われていますが、金持ちが言うなら間違いないなって(笑)。これが23歳の時です。
──一冊の本が悩みの解決に繋がったわけですね。
山中氏:はい。『ユダヤ人大富豪の教え』の教えが私の中でピーンと来て。「じゃあ自分の好きなことって何だろう、『子ども』『不動産』『お酒』。でもお酒の仕事はしたくないから子どもと不動産だ」という考えに至りました。
でもそんな仕事あるわけないなと思いながら、不動産会社で3年9カ月間だらだらと働いていたのですが、やっぱりもう少し広い世界を見たいなと思い、いろいろな人に会ってみたくなって東京の会社に転職しました。そこではいろいろな人たちと飲みに行ったり、自己啓発セミナーに呼ばれればそこへ足を運んだりとまるで自分探しをしているかのような日々を過ごしていました。
──いろいろな人たちと出会う中で考えが変わることはありましたか?
山中氏:そうですね、私は不動産会社を辞めた後は、結局2社経験することになり、そこで私は一般企業に勤めながら副業で不動産を仲介する仕事をしていました。そんなときに会社でも嫌なことが続いたりして「もう雇われて働くのは無理だな」と考えていた時期でもあり、ちょうど民泊が流行り始めた時期でもあったので、自分でもこの民泊をやってみようと思って始めてみたんです。
ちょっとずつ軌道に乗り、一人でご飯を食べられるぐらいになったので会社を辞め、個人事業として半年間働いた後にひょんな考えから会社を登記したのがシングルズキッズの前身というわけです。起業しようと思っていたというよりも、「流れ着いた」という表現の方が近いですね。このとき私は28歳でした。
──ここでようやく起業に至ったわけですね。ターニングポイントというと、どの出来事が挙げられますか?
山中氏:私の場合、『ユダヤ人大富豪の教え』を読んだことです。「大好きなことを仕事にしよう」という言葉は今でもずっと信じています。
シングルズキッズたちが寂しさや困り事を抱えない世界を創りたい
──今後のビジョンについて教えてください。
山中氏:シングルズキッズがハッピーになることが私の中での一番の願いです。もう少し細かく言うと、シングルズキッズたちが寂しさや困り事を抱えない世界を創って小さな幸せを積み重ねていきたいです。そのためには、MANA HOUSE上用賀を拠点に、この近辺で2~3軒増やしたいと考えています。ビジネスという意味では、3軒目までは利益はそこまで出さないというのを決めているんですが、その先、大家さんの方から「使ってほしい」と言ってもらえるように、将来のビジョンの見えるシェアハウスを3年以内に創りたいですね。
──シェアハウスを展開していくんですね、それ以外にありますか?
山中氏:それ以外にも実は、NPO法人を作りたいと考えています。というのも、シェアハウス事業をしている中で、「元野球選手が野球教えますよ」とか「音楽会をやりたい」などといった話をいただく機会があるんです。しかし利用者の中には体験的に困っている人がそこまでいるわけではなく、むしろそういった方々が他に同じ世田谷区内にいます。
世田谷区には3万1千世帯くらいの数の一人親の世帯があって、その中で「世田谷のシングルズキッズをハッピーにする」プロジェクトを“地産地消”でやろうという話がありまして。月に1回のイベントみたいな形で開催しようと今ちょうど計画しているところです。
──その後の夢があればぜひお聞かせください。
山中氏:私は40代で資産家になりたいと考えています。1カ月の半分ぐらいは海外へ行って不動産を買いに行ったり、ぷらぷらして毎日ビールを飲んで楽しく暮らしたいんです(笑)。個人資産は一億円くらい持てたら良いなと考えているんですが、資産を会社にたくさん付けて、私が死んでも残るようにしたい、しなきゃ意味がないなと思っています。今からもう楽しみで、非常にわくわくしています。
INQには、知識がなくても気軽に相談ができる
──行政書士法人INQでは、スタートアップやベンチャーの資金調達のサポートを行っていますが、御社含めて財務面でサポートのニーズはどの様なところにあると感じますか?
山中氏:最初は、融資に対する知識が全くなく、起業も適当な感じでしてしまったので、融資を受ける意味や意義、金融機関との付き合い方などが全くわかりませんでした。そんな中で縁あってGOAL(現INQ)さんを知り、周りの起業家が皆相談していたので「私も」という感じで気軽に相談をさせていただきました。
当時私は自己資金がないなど、融資の通らない要素を抱えていたんですが、若林さんが丁寧に聞いてくださって、アドバイスをくださり、その通りにきちんと支払いをして、融資が受けられるか自信がなかった中で、最初に相談したときから1年後に正式にお願いをしたところ、融資が通ったんです。
だから融資を希望する方や、会社を始める、方向転換する際の運営資金が必要だと感じるのであれば、まずは気軽に相談してみるのはアリだと思います。
──融資自体にはどれくらい時間が掛かりましたか?
山中氏:4カ月くらいです。本格的に融資をしていただこうと、2回目に相談したのがシェアハウス事業を始めようとした2016年10月。翌年1月に物件が見つかったので急いで契約をし、その後に融資を実行してくださったのが2月末でした。結果的に1,000万円の融資を受けたのですが、INQさんが一緒に金融機関をいろいろとまわってくれたりと、かなりのスピード感で対応してくれました。
──今後は融資の計画はありますか?
山中氏:先ほども申し上げた通り、シェアハウスをあともう数軒作ろうと思っていますので、考えていないわけではありません。これまで私は、食堂の運営をしたことがなかったですし、場作りみたいなこともしたことがなかったですし、不動産業界にはいましたがシェアハウスの運営もやったことがありませんでした。
そういう意味では実際にシェアハウスに住んで運営をしてみて、当初の計画と比べて数字の面においても運営の面においてもギャップを感じていますが、やはり何事も計画することは大事だなと思いました。今は新たな自分の夢に向かって、一歩ずつできることをしたいと考え、まずは計画を立てるところから始めています。
山中真奈氏プロフィール
1986年生まれ、埼玉県出身。10代でギャル・ギャルサークル・キャバクラ・引きこもりを経験後、二十歳で某FC不動産会社にて4年間従事。働き方への疑問とやりたいことに目覚め2015年独立。 不動産仲介・保育園開設支援・こどもに想いのある大人が繋がるプロジェクトやNPO法人若者メンタルサポート協会広報など活動後、2017年3月より社名変更し『シングルズキッズ(=ひとり親で育つこども)を最高にHAPPYに!』をミッションに、世田谷区にてひとり親とこども、シニアが同居する下宿事業を企画開始。